略誌
当神社本殿前を、往古より甲駿往還が通っており、今も街道跡の面影が残っています。当時の主な輸送手段として、駅馬が重要な働きをしていましたが、当該地は北向きで急勾配なため最大の難所であり、特に冬期は積雪や凍結のため馬の事故は後を絶ちませんでした。 当地では、農耕ばかりでなく、賃金収入の重要な役割を果たす馬を、多くの家で同じ住まいの中に飼うほど、ことさら大切にしていました。村人はその生活の糧の馬を失うことを憂い、幾多の群議を重ねました。そして「慰霊と安全」を願って馬に縁のある「稲荷様」を祀ろうと、京都「伏見稲荷」に勧請(かんじょう)し、霊験あらたかな五穀豊穣、商売繁盛の神として、旧山中村の北の出口である現在地に「正一位山中出口稲荷神社」と命名、小祠を造営しました。 「稲荷様」は、里人はもとより、近郊近在の多くの人々に信仰も厚く崇拝され、その後社殿の老朽化が進み、数回の増改築を経て現在に至っています。